なぜ?なに?エピゲノム

国立がん研究センター研究所の服部奈緒子研究員に聞きました!
なぜ今、エピゲノムなんですか? エピゲノムって、なんですか?

Q:「ゲノム」とは生きものがもつDNAの塩基配列の情報全てと聞きました。「エピゲノム」は耳慣れない言葉ですが、ゲノムとエピゲノムは何がちがうのですか?

A: DNAの塩基配列を変えることなく、遺伝子のはたらきを決めるしくみをエピジェネティクスとよび、その情報の集まりがエピゲノムです。
こんな風にイメージしてください。ゲノムをA,C,G,Tの4種類の音符が並んだ音の羅列だとすると、音に強弱をつけたりテンポを変えたりして曲を奏でるしくみが、エピジェネティクスです。私たちの身体をつくる細胞には、基本的にすべて同じゲノムが入っているのに、いろいろな種類の細胞になれています。これは、同じ音の羅列(DNA の塩基配列)をつかって、ちがう曲(皮膚の細胞や腸の細胞などおよそ200種類の細胞)を奏でるしくみ、つまりエピジェネティクスのおかげなのです。

図1:同じゲノムでも細胞ごとに異なるエピゲノム
図1:同じゲノムでも細胞ごとに異なるエピゲノム


Q:ヒトの外見や体質はゲノムによってある程度決まり、ゲノムの異常が病気の原因となることもあります。エピゲノムはどうですか?

A:双子は基本的に同じゲノムをもちますが、外見や病気のなりやすさが全く同じではありませんよね。これは、大人になるにつれてヒトのエピゲノムの状態が少しずつ変化していくからです。また、米国でクローン猫がつくられたとき、クローン猫とゲノムを提供した猫とで毛色と模様が異なっていたのは有名です。三毛猫の毛の模様はゲノムの遺伝情報ではなくエピゲノムの違いで決まるのです。植物ではアサガオの花の絞り模様がエピゲノムで決まるといわれています。ほかにもいろいろな生命現象で、実はエピゲノムで決まっていることはたくさんあると思います。
そして大事なことに、エピゲノムの異常はがんや代謝疾患、免疫疾患、産婦人科疾患など人間の病気に深く関係しています。エピゲノムと疾患についてはこちらをご覧ください。

図2:同じゲノムをもつ双子もエピゲノムの状態は異なる
図2:同じゲノムをもつ双子もエピゲノムの状態は異なる

図3:三毛猫の毛色はエピゲノムで決まるため、クローン同士で模様が違う
図3:三毛猫の毛色はエピゲノムで決まるため、クローンでも模様が違う
Image adapted by permission from Macmillan Publishers Ltd: Cell biology: A cat cloned by nuclear transplantation. Nature 415, 859 (21 February 2002) | doi:10.1038/nature723


Q:エピゲノムがとても大切な情報だということはわかりました。ではその情報は、どんな状態で細胞の中に入っているのですか?

A:細胞の中にあるゲノムDNAや、DNAが巻き付いているヒストン蛋白質にくっつくさまざまな化学修飾(メチル化やアセチル化)が、エピゲノムの正体です。これらの化学修飾は、ゲノム上の遺伝子のはたらきをコントロールします。エピゲノムは、細胞が分裂しても次の新しい細胞へほぼ正確に受け継がれます。

図4:細胞の中のエピゲノムの情報
図4:細胞の中のエピゲノムの情報


図5:エピゲノムによって遺伝子がはたらくスイッチのオンとオフが切り替わる


Q:国際ヒトエピゲノムコンソーシアム(IHEC)が調べる「標準ヒトエピゲノム」って何ですか?

A:医学的に病気をもっていない正常な細胞のエピゲノムを明らかにしよう、というのが「標準エピゲノム」です。音楽のたとえでいうと、曲を弾くためのお手本になる楽譜ですね。病気の人のエピゲノムだけみても何が病気の原因かはわかりません。そこで、標準エピゲノムと特定の疾患のある患者さんのエピゲノムを比較して、病気の原因や治療法を研究するのです。
IHECでは、「今後7〜10年で標準エピゲノムを少なくとも1000種類は調べましょう」という目標をたて、血液の細胞、肝臓の細胞、胎盤の細胞というように、優先的に調べる細胞の種類を決めています。細胞を集めるにはボランティアの検体や患者さんの協力が欠かせません。


Q:どんな方法でエピゲノムを調べるのですか?

A:まずは患者さんの身体の組織をとってきて、バラバラの細胞にします。そこから2つの方法でエピゲノムを調べています。

①【DNAの化学修飾を調べる方法】
細胞を壊してDNAをとりだします。その後、特別な反応を使って、化学修飾(メチル化)されているDNAをマークします。DNAの配列を次世代シークエンサーで読み取り、ゲノムの中でDNAがメチル化された位置と数を解析します。

②【ヒストンの化学修飾を調べる方法】
細胞をホルマリンという薬剤で処理して、DNAとDNAが巻き付いているヒストン蛋白質をそのままの状態で固定します。次に細胞の核から固定したDNA-ヒストンをとりだします。そこに化学修飾(メチル化やアセチル化)されたヒストンだけを認識する抗体をかけ、抗体にくっついた(化学修飾された)ヒストンに付いたDNAだけを取り出します。DNAの配列を次世代シークエンサーで読み取り、ゲノムの中でヒストンが化学修飾された位置と数を調べます。


図6:エピゲノムの解析結果の例(IHECホームページより引用)


Q:研究室のようすを見せてください!

A:はい、どうぞ。研究室に入りましょう。
いちばん大事な道具はこれ、愛用のマイ・ピペットマン。

試薬を正確に測ったり、サンプルを調整するのにつかいます。

データ解析のためのパソコン、最新の研究動向を勉強のための論文も欠かせません。
ちょうど今見ている画面では、細胞の核の中で化学修飾されたヒストンが光っています。

そして細胞。インキュベータという培養装置でふだんは細胞を育てていて、顕微鏡をつかって観察します。いま見ているのは、乳がんの細胞です。

いちばん大事な研究道具ですか…? モノではないですが、「やる気」ですね。サイエンスの面白いのは、まだ誰もわかっていない、新しいことがわかるところ。エピゲノムは、新しい発見によって次々に教科書が書き換えられていくようなエキサイティングな研究分野。とてもやりがいのある仕事です。


Q:もし誰かのエピゲノムを全部みたら、健康状態や寿命がわかるのですか?

A:私たちのグループ(国立がん研究センター研究所エピゲノム解析分野)では、DNAメチル化というエピゲノムの状態が、ヒトの胃ではピロリ菌感染、食道ではタバコの影響で変わっていることを発見しました。スナネズミをつかった動物実験で、ピロリ菌感染による「慢性炎症」で変わることを確認しました(面白いことに、お酒による「急性炎症」はDNAメチル化に影響しませんでした。だからといって飲み過ぎは健康に悪いですが…)。将来的には、エピゲノムの状態をみれば病歴やいろいろな病気の発症のしやすさが分かるようになるでしょう。
寿命について「あなたは何歳まで生きられます」というのは、難しいですね。ただ、DNAのメチル化の量が加齢とともに増えることは分かっています。また、エピゲノムにはその人がどんな生活をしてきたかが記憶されているようなので、実年齢とは異なる「細胞年齢」はわかるかもしれません。さらに、遺伝子の異常である突然変異がおこる確率よりも、エピゲノムの異常であるDNAメチル化がおこる確率の方が高い*こともわかっています。

*突然変異とDNAメチル化異常がおこる確率:がんの周りの組織の特定の遺伝子での場合。突然変異は千個から十万個の細胞中一個の細胞に、DNAメチル化異常は十個から百個の細胞中一個の細胞に存在する。


Q:ノーベル賞を授賞した山中伸弥さんのiPS細胞にも、エピゲノムは関係ありますか?

A:はい、あります。山中先生は、皮膚の細胞に4つの遺伝子を導入してiPS細胞をつくりました。皮膚を皮膚の細胞にしていたのがエピゲノムですから、iPS細胞ができたというのは、もともとの細胞のエピゲノムが書き換えられた結果といえます。つまり、iPS細胞をつくることは、細胞のエピゲノムをいかにうまく変えてやるかという課題にほかなりません(エピゲノムの書き換えは専門用語でリプログラミングといいます)。最近の研究で、皮膚や子宮内膜からつくったiPS細胞に、もとの細胞のエピゲノムの情報が少しだけ残っていることがわかってきました。今後、再生医療が実用化されていく上で、エピゲノムとiPS細胞の研究はますます重要になってくるでしょう。


服部奈緒子研究員

服部奈緒子研究員のプロフィール
2005年に東京大学大学院農学生命科学研究科修了。博士(農学)。
日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科特任助教などを経て、2011年より国立がん研究センター研究所エピゲノム解析分野研究員。